タイトルどおり、バッハ音楽の歌詞を聴きながらドイツ語を学んでいる者が立ち上げた掲示板です。歌詞のドイツ語でわからない点をどんどん質問したいと思います。カンタータ以外の音楽の歌詞の勉強の際生じた疑問もいたしますので、ぜひご助言をお願いしたいです。またバッハの音楽の歌詞に関する質問があればお願いします。

バッハの歌詞でドイツ語を学ぶ

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マタイ受難曲からの質問です - Bors

2009/02/19 (Thu) 09:43:17

Sie haben meine Kleider unter sich geteilet, und ueber mein Gewand haben sie das Los geworfen. Und sie sassen allda und hueteten sein.

一番最後の単語、"sein" は "sein Gewand" の "Gewand" が省略された形ではないのでしょうか?最初に思ったのは、"sein" がイエスを指すならなぜ "ihn" でなく "sein" なのかということです。もしかして、hueten という動詞は2格(属格)を従えることもでき、ここで sein の形になっているのは本来2格の "seiner" の代わり、ということなんでしょうか?


磯山雅訳:「そして、彼らはその場にすわり、イエスの見張りをしていた」
杉山好訳:「しかし兵卒らはそこに坐して、イエスを守る」
新共同訳:「そこに座って見張りをしていた。」
口語訳:「そこにすわってイエスの番をしていた。」

日本語訳を比べてみると、新共同訳では「イエスの」を明記していません。

質問2 - Bors

2009/02/20 (Fri) 16:22:46

マタイ受難曲をマクリーシュ(McCreesh)盤とリヒター(Richter)盤とで聴き比べています。その際気がついたのは、マクリーシュ盤では、リヒター盤で「単純過去」のところを「接続法2式」で歌っているのが何箇所かあります。今回はすべてをメモることができいませんでしたが、時間があればこちらに書き出してみたいと思います。スラッシュの前がマクリーシュ盤、後がリヒター盤です。(共通)としてあるのは、両盤と同じ語形が使われているものです。(4)以降はマクリーシュ盤のみの引用です。3つ目の例では共に接続法2式で共通しています。
マクリーシュ盤の歌詞はこちらを参照しました(おそらく共通のテクストと思います)http://www.geocities.co.jp/MusicHall/1978/bwv244.htm
一方リヒター盤に近いと思われるものはこちらを参照しました
http://www.christoph-burghardt.com/bibeltexte.htm


(1) und steckete ihn auf ein Rohr und traenkete/traenkete ihn

(2) die Graeber taeten/taten sich auf

(3) Sein Leichnam koemmt/kommt zur Ruh

(4) Und die Juenger taeten (共通), wie ihnen Jesus befohlen hatte, und bereiteten das Osterlamm.

(5)Zu helfen den'n er ist bereit,
Die an ihn glaeuben/glauben feste.

(6) Petrus aber folgete ihm nach von ferne bis in den Palast des Hohenpriesters und ging hinein und satzte sich bei die Knechte, auf dass er saehe(共通), wo es hinaus wollte.

(7) Aber die Hohenpriester und die Aeltesten Ueberredeten das Volk, dass sie um Barrabam bitten sollten und Jesum umbraechten(共通).

(1)は61曲レチタティーヴォからです。こちらはなぜ接続法2式なのか理解しているつもりです。兵卒がイエスに酢/ワインを飲ませようとしたが、イエスは実際に味見しただけで飲まなかったからです。
(2)は63曲レチタティーヴォからです。なぜ接続法が使われているんでしょうか?
(3)は64曲レチタティーヴォからです。なぜ接続法2式なのかわかりません。
(4)は9曲レチタティーヴォからです。なぜ接2?
(5)は25曲コラールからです。これは「信じるであろう者たち」なので接2というのはわかります。
(6)は31曲レチタティーヴォからです。これは「衆議の企図をうかがい知るため」なので saehe と接2になっているのでしょう。

(7)も「殺害することを説得した」ですから接2となるのはわかります。

マクリーシュ盤で、リヒター盤とは違って単純過去のところが接続法2式で書かれているのを見たとき、よくある写植工の植字ミス(ITの時代であれ、最先端の機器を使っているとは限らないため)だと思いましたが、どうも違うようです。Google 検索でも"die Graeber taeten sich auf" の検索結果件数が 125件、"die Graeber taten sich auf" の検索結果件数が 423件 と、植字ミスとは思えないくらい両者に散らばっています。

質問1への回答がありました - Bors

2009/02/20 (Fri) 19:50:17

別のQ&Aサイトで言語に相当の洞察力がある方に回答をいただきました。
http://sanwa.okwave.jp/qa4730329.html

sein Gewand の Gewand が省略された形ではなく、sein 自体がイエスを指し、動詞の目的格を予想する場所で属格 sein が使われていたということだそうです。
昔は属格の守備範囲が現代よりも広かったということでしょうか。今では harren とか、数少なくなっていますが。少し前にバッハのカンタータを聴いていて、「あれ、なんで動詞の目的語の位置なのに属格なんだろう」と不思議に思ったことがありましたが、その動詞をメモしておけばよかったです。英語で言えば ask of や partake of に相当する用法です。
でも依然、「なぜ作詞家は ihn でなく sein をそこで使ったのだろう?」という疑問が残ったままです。マタイ受難曲で同じ用法が使われた箇所がすぐ後にもあります。次の "spotteten sein" のところです。

Desgleichen auch die Hohenpriester spotteten sein samt den Schriftgelehrten und Aeltesten und sprachen:

これら2箇所(hueteten sein と spotteten sein) にはなぜ ihn が使われなかったのでしょうか?ともにレチタティーヴォ・セッコ(レチタティーヴォ・アッコンパニャートの対義語で、セッコは通奏低音の伴奏のみのレチタティーヴォです)で、韻律から自由です。韻を踏むことをほとんど考慮していないように思えます。だから ihn を選ぶことの妨げにならないと思います。だから大きな謎です。


同じマタイ受難曲から、mein を同じような用法で使った例も見つけました。

Herr, nimm mein wahr in dieser Gfahr

質問3 - Bors

2009/03/03 (Tue) 12:47:10

マタイ26章31 で、ドイツ語訳では多くが In dieser nacht werdet ihr alle aergern an mir. のように aergern という単語を使っています。辞書で調べたら「怒る」となっていて、「つまづく」の意味が載っていません。別のドイツ語訳では abwenden となっており、こちらは英訳の fall away と日本語訳の 「避ける」と同じです。

聖書協会の日本語訳は、「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』/と書いてあるからだ。」となっています。ある英語訳は fall away となっています。なぜドイツ語訳では aergern が使われているのですか?私の知らない意味でもあるのでしょうか?

質問3への回答がありました - Bors

2009/03/07 (Sat) 11:17:39

また別サイトですが、いい回答がありました。
http://sanwa.okwave.jp/qa4764345.html?ans_count_asc=20

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